スポンサーサイト
カテゴリ: スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / コメント: - / トラックバック: - / PageTop↑
神話学でみる皆城総士
カテゴリ: 蒼穹のファフナー
 「永遠の少年」で少しだけ神話学に触れたので、もうちょっと補足を書き付けてみようかと思います。

 まあ、ようはいかに総士が「神」であるかということの証明になってしまいそうですが。(笑)



 永遠の少年つまり「プエル・エテルヌス」の元型は、オウィディウスが著わした「転身物語」に登場するエレウシスの秘儀で誕生する「イアッコス」という少年神から取られたものでありますが、そのイアッコスはオルフェウス教のザグレウスの生まれ変わりともされ、さらにザグレウスはディオニュソスと同一視されているとのことです。

 ちょっと混乱すると思うので神の名前にリンク貼っておきますね。(^^;)

 ディオニュソスは葡萄酒と狂乱の神というイメージが強いかと思われますが、知られているギリシャ神話とは別の異説によれば、もともとザグレウス神だった時にヘラの奸計で八つ裂きに殺され、救い出された心臓がのちにディオニュソスのものとなったとのことで、本来的な属性は死と再生の神であり、死んで甦るその特性ゆえに樹木や果実の植物神であり、その恵み(収穫)を享受させてくれる豊穣神であったと推測されています。

  ディオニュソスが備える「死と再生」という特色は、エジプトのオシリス、シュメールのドゥムジとイシュタル、同じギリシャ神話のペルセフォネなどにも見られるものであり、季節の移り変わりによる植物の枯死と再生という自然現象を古代の人々が神話によって体系化したものと思われます。

 別の起源として、短くなり続けた日の光が冬至を境に長くなるという太陽の復活を神話に取り入れたものとして北欧のバルドル、インド・イランのミトラもまた死と再生の神とされています。

 このディオニュソスやミトラと同じ「死と再生」のカテゴリーに属し、さらには信仰地域も重なっていた(と言われる)のが「キリスト」という神なわけです。

 バーバラ・ウォーカー女史は特に「ディオニュソス→キリスト」説を唱えていますが、どうも彼女の典拠は誤りも多いらしいので、ここは彼女に拠らずとも素直に古代オリエント各地で崇拝されていた「復活する植物の神」の直系が後代の「キリスト」と考えて良いのかと思います。


 ツイッターで検索していると、「なんで総士は木の下で死んだんだろう?」という呟きをいくつか見かけました。

 それは彼が「キリスト」に喩えられたキャラクター(*1)であり、それゆえに古代の死と再生の植物神の系譜に連なる神性が付与されていたからだと考えています。

 実際、ジョーゼフ・キャンベル氏の「神話の力」では「キリストの物語には、もともと非常に強力な植物イメージだったものが昇華された形で含まれています。十字架上のイエス。イエスは聖なる十字架。つまり木の上にいる。彼はその木の果実です」(P235)と記されています。
 
 それに加えて、EXODUS最終回は何度も言ってます(苦笑)けどクリスマスの深夜に放送されました。

 つまり総士が最後に背にしたアショーカという樹木は、十字架(死)でありクリスマスツリー(再生・誕生)でもあったというわけです。

 さらに、ここで唐突に(笑)アショーカが本来属する仏教的世界観から解釈すれば、子総士の誕生を見守ったことで、真の意味で名前通りの「無憂樹」(釈迦が誕生した場所にあった木)になったとも考えられます。


 ところで、ファフナーの大元の世界観である北欧神話では、主神オーディンがルーンの秘密を知るために世界樹ユグドラシルの木に9日9晩首を吊ったというエピソードがありますが、この世界樹はEXODUSのアショーカというよりも、無印で総士が一騎を同化しようとした時にあったクスノキの方が妥当なイメージかと思います。

 オーディンがミーミルの泉の水を飲んで「知識を得た」ことと引き換えに片目を失ったと言う話も、やはり無印で一騎に左目を傷つけられたことで「個を得た」ことに沿っているかと思われます。

 そういえばEXODUSの最終回後に見かけた「北欧神話の流れ通りに楽園は沈み、跡から希望が生まれ、世界を見渡した主神オーディンは世界樹に張り付けられ命を終えた」というツイートは、見たことも読んだこともない話でびっくりしました。(^^;)

 なぜなら、ラグナロクでオーディンはフェンリル(もしくは別の狼など)に呑まれて死ぬのです。そして先述したように、世界樹に吊るされることがあっても張り付けられることはありません。

 「楽園は沈み、跡から希望が生まれ」という部分は、世界が焼き尽くされてから海に没し、復活したり生き残った神が新たな世界を築くという「エッダ」に近い話ですが、オーディンに関しては何かと混同していたのか、それとも私の知らない典拠があるのか……謎です。
 

 ともあれ、というわけで総士がキリストとしての側面を心理学的だけでなく、神話学的な見地からも備えているということを論証できたと思いますがいかがでしょうか。


 今を去ること2012年12月31日の記事に、

 >私はファフナーを主に「ユング心理学」と「神話学」そして「キリスト教」の側面から読み解きたいと思ってます。 

 と書いていたので、ようやく神話学的視点からの考察(と言っても総士だけ 笑)を書けたので自分的にはそこそこ満足です。(苦笑)


 それでは、今回はこの辺で。




 *1 「総士はある意味、原罪を解消する立場にあるんです。そのために総士は自分が全部背負ってフェストゥムの側に行くんです。身を呈して和解を申し入れに行くんです。」(NT2005年6月号) 

スポンサーサイト
2017.02.12 / コメント: 0 / トラックバック: 0 / PageTop↑
プロフィール

Author:如月 咲夜
FC2ブログへようこそ!

コメント&トラックバックは、スパム対策としてすぐに反映されないようにしておりますのでご了承下さい。

月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。