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永遠の少年
カテゴリ: 蒼穹のファフナー
 この記事は去年の3月あたりから5月くらいまでちまちまと書き付けつつ、なかなかまとまらなかったのでアップが遅れたものです。
 しかも当初の記事タイトルは「君の名は」でした。(^^;)

 上げるタイミングを逃してる間に他の方や映画で使われてしまったので、変更してお送りします。(笑)

 古いせいで今の時点で読むと少々論旨におかしなところがありますが、そこらへんはご容赦下さいませ。


 EXODUS2クールめは字幕放送がありませんでした。

 そのため、キャラのセリフが聞き取りにくくて分かりにくい箇所が若干ありましたね。

 聞き取りでいちばん大騒動(苦笑)になったのは、23話でアビエイターと戦っていた一騎のセリフで「俺は……」が「僕は……」に聴こえた場面。

 私も最初は「僕」に聴こえて驚いたのですが、どうやらヘッドホンをしたりサラウンドで聴いていた人に「僕」と聴こえていたようなので、各自の機材と環境による音の反響の問題だったようです。

 しかし、これだけは最初から聴き間違うべくもなかったのが、最終回のラストシーンで一騎が言った「行こう、そうし」というセリフでした。

 私は最初から「総士」だと思っていたのですが、放送後のネットでは字が違う説が出たり、能戸さんが「こそうし」と呟いたりしたので、すっかり世間(笑)では「こそうし」、もしくは先般配布された「メーカー横断アニメガイド」で石井さんが寄せたコメントの「ソウシ」表記に落ち着いていました。

 そこへ、EXODUSアフレコの最終回プレイバックと共に、華麗にネタバレ台本画像を落としてくれたのが三間さん。(苦笑)

 ラストシーンの卜書きには「子供」、そして一騎のセリフには「総士」と書かれていました。

 ようやく漢字が判明してスッキリ!スッキリ!!(笑)

 「こそうし」が能戸さんの気遣いと分かってはいますが、私は最初から漢字を隠す必要などないと思っていたので、三間さんには多大な謝意を表したいと思います。

 私はブログでもツイッターでもかたくなに「子総士」と書いていますが、それは「総士の子供」「子供の総士」「総士という名の子供」というトリプルミーニングを掛けていたので、「子供」と「総士」とが併記されていた台本を見せて頂けて満足です。

 ちなみに「小総士」ではダメなんですよ……それでは「小さい総士」になってしまいますからね。

 まあそんな理屈は置いといても、「こそうし」という全部平仮名の字面が私の好みでは無い、という理由がいちばんの本音かもしれませんが。(笑)
 
 「三博士」もそうですが、私は語感を重視する人種なのです……。


 子総士がどのような存在なのか、放送後からネット上で侃々諤々、議論が戦わされては不明という結論に落ち着くのが常ですね。

 実際、制作側も今の時点で子総士をどのような存在として扱うのか、決めてるかどうか怪しい(何しろ子総士の誕生日つまり最終決戦の日付もちゃんと決めてなかった模様 by喜安さんの質問に当初解答が用意されてなかった)ので、考えても仕方ないかもしれませんが。

 放送中に総士が生まれ変わることについてはさんざん考えたので、子総士は「総士だけど総士ではない、総士ではないけど総士だ」という認識が、私の中ではまったく矛盾せずに両立しています。

 一騎もたぶん似たような考え方をしてると思いますけど。
 てゆうか、そうでもないとあの子に「総士」と名付けられないし呼べないと思うんですけど。どうでしょう。

 その総士を演じた喜安さんは、同化イベントで子総士についてコメントを求められ、「あの子供が総士の生まれ変わりだとか自分だとは思っていない」とコメントされていました。

 いかにも役者な考え方ですし、まさに「皆城総士の中の人」らしい答えだなと思います。(苦笑)

 でも、それもあくまで喜安さん個人の答えであり受け取り方なので、別に彼のあの意見が公式でも唯一の正解というわけでも無いのがファフナーという作品の面白いところです。

 26-15_R.jpg

 何度かこの場面を見て思い出したのが、2011年10月11日の記事に書いた「GONE/ARRIVE」冲方解説からの「Preface of HAE」の考察でした。

 >特に一騎の「海」のイメージは、小説では泳ぎ着いただけの場所かとも思われた、海岸の「頑丈な岩の上にある、揺るぎない生活の場所」「灯りのともる場所」こそが、一騎の本来の「海」であり居場所であったということが確定しました。  
   
 >へー、ほー、ふーん。(笑)

 >この理解で行くと、一騎は剣司もカノンをも遥かに上回る、強烈な「家族願望」の持ち主ということになりますねえ。

 まさかこうしてEXODUSの最終回で本当に家族を、それも総士の生まれ変わりの子を、家族として得ることができたとは。

 とうとう一騎は、夢と深層心理で求めていた家族願望が満たされたんですね。

 まあ、本当に子総士が真壁家に引き取られて一騎の家族になれたのかどうか、公式の回答はありませんが、あの演出でじつは別々に暮らしてますというのもさすがに無いとは思います……。


 一方で、総士の生まれ変わりを見届けて思い浮かんだのは、総士は「永遠の少年」だったんだな、ということでした。

 総士はもう青年じゃないの?というツッコミはよく理解しております。(笑)

 しかし少年法において、「少年」とは20歳に満たない者、「成人」とは満20歳以上の者と定めていますのでね!(苦笑)

 冗談はさておき、私の言う「永遠の少年」とは、ユング心理学のアーキタイプの1つである「プエル・エテルヌス」、その典拠とされる「転身物語」に出てくる、「永遠に成人せず、グレートマザーの子宮で死と再生を繰り返す神」そのものを指しているのです。

 そのモチーフを由来に、いつまでたっても思春期の子供のような思考で周囲を困らせるという、精神病理としての「永遠の少年」の方を語っているのではありませんので、そこは予めご承知下さい。(といっても一般的にはこちらの方で有名なんですけどね)
 

 二十歳の誕生日、つまり正式な成人まであとひと月あまりを残しながら、グレートマザーたるマークニヒトの母胎で死と再生を果たし再びこの世に生まれてきた。
 そして生まれた子もまた恐らく、同じ運命を繰り返す……。
 
 最終回で総士が到達した存在のあり方は、まさに「永遠の少年」の原義となった神話そのものだと思います。

 総士が主役3人の中でただ一人誕生日を迎えられなかったのは、彼が「成人できなかった」ことを端的に示しており、たとえ前倒しの成人式に参加しても、精神的に父親殺しをしても、誕生日と言うただその一線を越えられなかったことで、彼は永遠の「少年」としてこの世界にその存在の情報を残して消えたのだと思います。
 
 ちなみに「永遠の少年」については、ユング氏自身よりも高弟のフォン・フランツ女史が著作で考察しているようです。

 ユング氏の論では「永遠の少年」は「幼児元型」に類し、その特徴は遺棄された子であるがゆえに成長し自立する可能性を示し、無力でありながらも超越的な力を備え、生まれたばかりという最初の存在でありつつ、生まれ変わるという最終の存在でもあることを意味しているとのこと。

 最初でありながら最終――つまり「私はアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである」ってことですよね。(byヨハネの黙示録)

 うーむ……やはり幼子とは、それも12月25日の夜に生まれた赤ちゃんとは、救世主キリストであることよ……。

 まあ西洋的知識で分析をすれば、だいたいの根っこはそこに行き着いてしまうのかもしれませんけど。(^^;)
 

 あくまで個人の心理学的解釈ですので、正しいキリスト教神学ではそんな意味じゃない!とかいうような話ではありませんので、あしからずご容赦願います。

 ティザーPVを見る限りでは、まだマークニヒトは目覚めていないようですが、新たな総士にとって、生まれ変わったあの機体がどんなパートナーとなるのか。

 大変に興味があります。なので早くPV第2弾クレクレ。(笑)



 以下、コメント返信です。



 当記事内のアニメ画像は全て、
 ©MBS・FAFNER EXODUS PROJECT・XEBEC及び©King Record.Co.,Ltdに帰属します。


 1月11日にコメント下さったお二方

 それは秘密です。(^^;)


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2017.01.15 / コメント: 0 / トラックバック: 0 / PageTop↑
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